高専(女子)ラボ ーキラキラ星をこぼしてー

長野高専環境都市工学科卒の高専女子がなんでかとっても好きな高専について研究するブログ

誰かがいなくなることは悲しい

誰かがいなくなることは悲しい。

その誰かと関わって、良い思い出があればあるほど悲しい。

関わらなくなってから時間がたっていても、急に誰かと接した時の記憶が蘇って悲しい。

 

悲しいという感情は、言葉にするよりもはるかに重く苦しい。

 

 

私は記憶を映像で思い出すタイプなので、その誰かと接していたときの、

 

会話

 

表情

 

動作

 

服装や

 

髪型

 

笑った顔

 

考え込む顔

 

指の形

 

まなざし

 

後ろ姿

 

その時の空気の温度

 

 

日差しや

 

街灯

 

話さなかったときの遠くから見かけた立ち姿

 

 

そういうものがありありと蘇る。

 

 

数年前、もう10年は会っていなかった同級生の急逝を知ったときもそうだった。

 

不思議なもので、調子のいいもので、同級生が旅立ってからは思い出す頻度がグッと増えた。

ふとした時に思い出す。

 

私に何か出来たかと振り返っても今更すぎて、過去は容赦ない。

 

 

何かできるなら今から先にしかなく、同級生の声かけで、長年バラバラだった同級生達が連絡をとりあって集まったり、それを機にゆるくでもつながった。

日々の中にひとつ細い糸端を握るように、一年また一年と、これから先のために関わっていこうとしている。

 

 

何かできるならここから先にしかない。

 

誰かがいなくなることは悲しい。

 

その悲しさは人生の中で、涙のしずくが沁み込むように心の中に沁みていく。

 

 

私はずっと、人生には余白が必要だと思っている。

それがすごく大切だと思っていて、それを伝えていくことを自分の生涯の仕事にしたいと思っている。

どうやったらいいのか、心の奥底でずっと考えているのだけど、考えていても何も動かないなと今日思い知った。

 

 

人生には余白が必要だ。

 

余白のない生活のなんて辛いことだろうか。

 

余白のない心の、なんて苦しいことだろうか。

 

できることは、ここから先にしかない。